2017年07月31日
母はなぜ認知症になったのか?
私が、母の認知症をきかっけに、自分がならないための食の見直しを考えた時、今までの母の食生活を考えてみました。昭和6年に生まれた母は14歳の時に終戦をむかえているので、山形県にいたとはいえ、7人兄弟でしたし貧しい食生活だったであろうと想像できます。
それから結婚するまでは、おそらく一般的な「日本の食卓」であったはずです。私が生まれた昭和32年頃は高度成長期に入り、アメリカ文化や欧米食も一般庶民にまで、広がっていたと思われます。戦中、戦後まもなくまで高額で買えなかった食品も、産業の発展とともに安価になり容易に手に入り、日本人の食生活はどんどん欧米化していったでしょうね~うちでも、カレーやハンバーグは定番でした。
日本が外食産業、コンビニ、バブル、グルメブーム等々飽食の時代を謳歌している頃、アメリカではマクガバンレポートが提出されました。アメリカ上院栄養問題特別委員会は巨額な資金を投じ、7年間栄養と疾患との関係を調査し、生活習慣病は現代の間違った食生活すなわち、食事の欧米化が原因になって起こる「食源病」であり、薬では治療できないと結論を出したのです。1977年のことです。
そして、一番理想的な食事は・・・
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それから結婚するまでは、おそらく一般的な「日本の食卓」であったはずです。私が生まれた昭和32年頃は高度成長期に入り、アメリカ文化や欧米食も一般庶民にまで、広がっていたと思われます。戦中、戦後まもなくまで高額で買えなかった食品も、産業の発展とともに安価になり容易に手に入り、日本人の食生活はどんどん欧米化していったでしょうね~うちでも、カレーやハンバーグは定番でした。
日本が外食産業、コンビニ、バブル、グルメブーム等々飽食の時代を謳歌している頃、アメリカではマクガバンレポートが提出されました。アメリカ上院栄養問題特別委員会は巨額な資金を投じ、7年間栄養と疾患との関係を調査し、生活習慣病は現代の間違った食生活すなわち、食事の欧米化が原因になって起こる「食源病」であり、薬では治療できないと結論を出したのです。1977年のことです。
そして、一番理想的な食事は・・・
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