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Posted by たまりば運営事務局 at

2017年08月26日

待つ会話と優しい言葉

「否定をしない!でもね・・・」 で無言のコミュニケーションのことを書きましたが、認知症の人との会話は待つことも大事ですね。

返事が中々返ってこないことがあるんです。言葉が浮かんでこないだけなのかもしれませんが、それを介護者が待てずにあーだこーだ口を出してしまっては、コミュニケーションになりません。
私も初めの頃は返事がないと、同じことを何度も、しかも段々と声を大きくして聞いてしまい「わかってるわよ!」と、怒らせてしまったことがありました。

会話に間をおく、よく観察しながら待つ。こう心がけると介護者の憶測で、違う方向に会話が進んでしまうのを防ぐことができます。
認知症の人でなくても、会話の途中でとんちんかんに口を挟まれたらイライラしてきますよね~
認知症だから理解ができないだろうとか、推測で行動を提案したり、矢継ぎ早に言葉を投げかけてしまうと信用を失うことにもなりかねません。
この人は自分のことをわかってくれない人だと思われてしまったら、親子だろうがなんだろうが関係ないので、修復が大変になってしまいます。



私は、母に返答をする時にちょっと間をとることがあります。いつもと同じ返事にならないよう、言葉をあれこれ思い浮かべ、今はこれがいいかなと選んでみるのです。

それが母にとって云々というよりは、自分がいつも同じことをいうのはつまらないし、言い方が投げやりになってしうま気がするんです。もし、そうであればその投げやり感は母に伝わるでしょうから、良くないことですね(^▽^;)ゞ

同じことを言うのでも自分が飽きないための言葉選び、それが結果的に優しい言葉になってくれたらいいコミュニケーションになりますね

  




  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるあるセルフケア

    2017年08月23日

    対策準備のための予告編?

    私が住んでいる福生市では「ほっとサービス」という支援があり、週一で母の話し相手に来てもらっています。
    先日来ていただいた時、様子を聞いていてちょっと驚くことがありました。以前はCDでナツメロをかけると手拍子しながら、ノリノリで歌ったりしていたんですが今は「うるさい」と言うそうなんです( ̄◇ ̄;)

    だいぶ会話がしづらくなってきたなぁとは感じていたんですが、ナツメロももう楽しめなくなっていたんですね・・・
    でも、小学校の校歌と花笠音頭は忘れずに歌ってます♪(〃 ̄m ̄)b

    ほっとサービスの方に来ていただくようになって3年。
    変わっていないように思っていたんですが、結構変化があったんだと実感しました。

    昨日まで普通にできていたことが、今日突然できなくなり「ドキッ」することもありますが、翌日はまたできたりするんです。

    先日も手を洗う時、母の手にハンドソープの泡をいつものようにのせたんですが、なんと!顔を洗ってしまいました。
    母は椅子に座ったままですので、水でジャブジャブ顔を洗い流せません。タオルを濡らして顔をふきましたが、一度そういうことがあるともうつきっきりです。

    翌日は今まで通り手だけ洗いました( ̄- ̄;) そうやって段々とできないことが増えていくんでしょうね~

    また、こんなこともありました。毎朝飲んでいる血圧の薬を手のひらにおくと、これ飲むのといいながら口に入れ水で飲んでいたんですが、ある時コップの水のなかにポチャっと入れてしまったんです。なので薬を口に入れるまで目を離せなくなりました。

    そして、昨日は飲めたかな?と聞くと「うん飲んだよ」といいながら口を開け、薬がのった舌をべーと出しましたΣ( ̄Д ̄;



    もうこうなると笑っちゃいますが、服薬ゼリーを買うタイミングが頭をよぎります。

    突然できなくなるのは予告編なのかもしれないですね~対策を準備しなさいよと、ちゃーんと教えてくれていると受けとめることにしましょう!
    できたりできなかったりしてくれることで、介護者が慣れるようしてくれているのかもしれないですしね(*゚▽゚*)

      
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  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるある

    2017年08月20日

    認知症あるある!でもね・・・

    認知症を発症した多くの人が、同じようなことを言ったり、同じような行動をとることを認知症あるあると、私は呼んでいます。
    徘徊や妄想、異食、過食等々いろいろありますが 
    たとえば徘徊!
    徘徊するという行動は「あるある」ですが、その理由は多分100人100通り「いろいろ」でしょう!
    傍から見ると意味もなく、歩き回っているようにしか見えませんが、本人にはちゃんと目的があると、最近は認識されるようになったそうです。

    「買い物に行く」、「会社に行く」、「昔住んでいた家に帰る」などの目的があって出かけたものの、途中で目的を忘れてしまったたり、あるいは道に迷ってしまったため、あてもなく歩いてしまった。
    特に女性のの場合、結婚により生まれ育った土地や家から離れて暮らしていることが多いので、子どもの頃の家に帰りたいと外に出てしまうこともあるそうです。

    徘徊が起こる原因には、認知症の人の現実検討力の低下や見当識障害、判断力の障害、記憶障害による年齢逆行、過去の仕事の再現、居場所のなさ、不適切なケアからの逃避、不安感や焦燥感など様々なものがあると考えられています。

    介護者にしてみれば、理由はどうあれ「なんとかしなくちゃ!」となるわけですが、無理に止めると、欲求が阻止されるため、抵抗がおこることがあります。また、「あなたの子供は、もう50歳ですよ」などと現実を知らせたとしても、認知症の人は現実が理解できないので、ますます混乱することになります。

    さらに、部屋などに鍵をかけることもあるかもしれませんが(施設などで部屋に鍵をかけたりすることは、身体拘束にあたる行為であり、法律的には高齢者虐待と見なされるため、禁止されています)、目的を持って出かけようとする人の部屋に鍵をかけたり、拘束したりすることは、認知症の人にとっては、理解できない理不尽な対応となります。
    そのことにより、ケアへの抵抗や興奮、攻撃性、妄想などの行動・心理症状が出現してしまうことにもなり、つまり不適切な関わりが行動・心理症状を悪化させることになってしまうんです!

    では、どんな対応をすればいいのでしょうか!






      
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  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるある

    2017年08月18日

    否定をしない!でもね・・・

    テレビドラマで喧嘩が始まると「あんた、行って止めてきなさい!」と、母に言われてしまいます(^▽^;)ゞ

    認知症の人とのコミュニケーションで「うそも方便」と同じくらい、よく言われるのが「否定をしない」です。
    でも、やはり「お金盗ったでしょ!」などと言われたら、否定しないわけにはいきませんよね~

    幸い母がそう言うことはなかったんですが「山形に帰ったら、私は殺されるんでしょ」と、言うことがありまして、これも否定しないわけにはいきません( ̄- ̄;)
    はっきり否定してすぐに話題を変える、私はこんな対応をしました。なんでこんなことを言うのかな?と考えてみましたが、それこそテレビドラマの中に入り込んでしまったのかな…と思うことにしました。

    「〝理由を探る〟認知症ケア」という本に「否定をしない」ではなく「有(う)を与える」というコミュニケーションのことが書かれていました。

    「有を与える」とは、本人の話しをただありのまま受け取ることをいいます。たとえば、「家に帰ります」と言っているAさんがいれば、「Aさんは、いま、家に帰りたいんだ」とそのまま受け取るのです。
    介護者が賛成であろうが、反対であろうがAさんが家に帰りたいと言っている事実に変わりはないので、「その人が言っている事実を、事実として認めるだけ」なんだそうです。

    そうすることで介護者のストレスも軽減し、相手に対する興味や関心が芽生え、観察力や察知力も高まるそうですよ。

    これを読んだとき何か難しく思えたのですが、よく考えると自然にやってたかな?(^▽^;)ゞ
    口には出しませんが心の中で「ハイハイ そうなのね」とそのまま受け止めていた気がしますね~

    それともう1つ!

    母


      
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  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるあるセルフケア

    2017年08月16日

    うそも方便!でもね・・・

    認知症の人とのやりとりでよく使われるのが「うそも方便」。私も時々使いますがただ、いつもうそを言うのは結構ストレスになってくるんです。
    なので、時間的に余裕があるとき、母の質問に対し本当のことを言うことがあります。

    例えば母の場合ですと「山形の生家は昔のまま、まだ存在していてそこに帰りたい」との思いからか「山形にいつ帰る?」と頻繁に言います。
    現実には、祖母が亡くなってからずっと空き家で、山形にいる叔父が雪下ろしなどしていたのですが、隣の建物の雪が原因で一部潰れてしまった数年前に、解体してもうありません。

    最初のうちは「いつ帰る?」と言われ「今寒いから夏になったらね~」とか答えていましたが、全く帰る気がないのにいずれ帰るように答えるのはうそと同じこと。

    ある時「もう山形に家がないから帰れないのよ」と言ってみました。母は「家、どうしたの?」と聞いてきます。「隣の雪が落ちてきて潰れちゃったんだって」というと「あ~雪でな…」と淋しそうでしたが、山形の雪景色を思い出しているような気もしました。

    その後も同じように答えていましたら最初は「えぇ!家がないの」と、何度も驚いていましたが、そのうち「あ~そうだっけ」というようになったんです。学習したんでしょうかねぇ( ̄∀ ̄)

    デイサービスに行く日の朝など、時間に余裕がない時はうそも方便を利用し、余裕のある時はうそで会話を省かず、いろいろ話してみるのもいいかなぁ~と思います。

    よく聞く例ですが、デイサービスの利用を拒否される男性のお宅に、送迎車を向かわせて「先生、教授会のお車です」と言うと、難なく乗車された。このうそも方便はこのままでいいですよね。言う方も言われる方もストレスはないと思います。

    そして、うそも方便のコツは!(*゚▽゚*)b



      
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  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるあるセルフケア

    2017年08月08日

    小さなストレスもティッシュに包んでポイ!

    ティッシュを洗濯したことありますか?
    誰も好き好んで洗濯するわけじゃないですよね^^ そう、ポケットに入っていたんですね…

    これも認知症あるあるの1つのようですよ~、ティッシュのポケット詰め込み。
    洗濯する時気をつけているつもりでも、忘れたり、見落としたり(> <。)
    黒い衣類なんか一緒に洗ってしまったらもう悲惨です!

    コロコロで時間かけて取るしかないですよね。うちもよくありました。
    「ありました。」過去形です!今は一切ありません♪(〃 ̄m ̄)b

    なぜなら、今はほとんど私が縫ったズボンばかり穿いているので、ポケットがついていないんです。ティッシュのことを考慮したわけではなく、ただ面倒だからつけなかっただけなんですが、ティッシュのことを気にせず洗濯機に放り込めるので楽ちんになりました♪

    認知症の人に「ポケットにティッシュを入れないでください」と頼んでも、ほぼ100%いう通りにはしていただけないので、洗濯する人が気をつけなくてはなりません。つまり100%洗濯する人の責任!
    認知症の人を責めるわけにはいきません。

    でも、この手間のかかる予期せぬ出来事は本当にイヤになります。
    ガックリします!特に自分の衣類を一緒に洗っていた場合など、
    ウギャー!と叫びたくなるほどショックです。


    母に「腰に手をあててポーズをとって」とお願いしたら、こうなりました↓
    ポーズ


      
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  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるある

    2017年08月07日

    “お母さん”ではなくなった母

    認知症の人は何の脈絡もなく、「今なぜその話題?」と、いうようなことを突然話し出します。そして、しばらく同じことを毎日言い続けある日、ピタっと言わなくなるんです。どうやらマイブームがあるようなんですね~^^

    「子ども達はいつ来るの?」。これは私の娘、母からみれば孫のことであり「達」と、複数形になっているのは恐らく、ひ孫のことかと思います。
    前にも書きましたように離婚して実家に戻った私は、すぐに働きはじめ娘の子育てはほとんど母に任せきりでしたので、母の中では孫も自分の娘になっているんでしょうね~

    娘家族は三重県にいるので、上京は年2回、夏休みと冬休みだけです。
    「いつ来るの?いつ来るの?」といい続け、やっとその日が来て一緒に過ごしても、帰った翌日にはまた「いつ来るの?」が始まるんです。
    もう会ったことを忘れてしまうんですね…
    今年に入った当りから、そのブームも終わったようです。言わなくなりました。

    突然始まる母の話には「お母さん」がたくさん登場します。
    「ここのお母さんはどこに行ったの」「ここはお母さんが通るところだからね」「お母さんは元気なんでしょ」等々。一度「ここのお母さんはお母さんでしょ」と言ってみましたが、「えっ!」と言われてしまい話がややこしくなるので、ある時から母のことを「さっちゃん」と呼ぶようにしました。

    母は何の違和感も疑問もなく、受け答えしてくれています。
    とっくに親子関係の解消をしたつもりでしたが、ずっと「お母さん」と呼んでいました。もうお母さんではなくなっていたんですね。
    若かりし頃のさっちゃんにタイムスリップしてしまったようです。

    現在の名前を呼んでも反応がなかった人に、旧姓で呼びかけたら振り向いたというケースもあるそうです。

    ただ、私の場合母なので「さっちゃん」と呼べますが、もし父だったら・・・
    父が認知症にならないことをひたすら祈るだけですね(^人^;)

    認知症
      
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  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるある

    2017年08月05日

    総合感冒薬の副作用

    認知症の人が風邪を引いたり、熱を出したりすると大変なんです。

    これも早いうちに知っておいた方がいい事の1つですが、「認知症の人が市販の総合感冒薬を飲むと結構な頻度で混乱、せん妄、徘徊といった副作用が現れる」ということです!

    これを知らなかった私は、ちょっと咳が出ていただけで予防のためにと、薬箱にあった葛根湯を飲ませました。これは副作用はありませんでしたが、いい効果もなかったので何の疑問も持たず、安易に飲ませてしまったんですね…総合感冒薬。ボーっとして起き上がれなくなってしまいました。初めてのことだったのでビックリしましたし、もうどうしたらいいのかオロオロするばかりでした。

    一番困ったのがトイレに行かれなかったことです。日中1回は無理やりな形でもなんとか行けたのですが、夜はどうしても起き上がれず苦肉の策で、パジャマの上から紙パンツを1枚を穿かせました。布団さえ濡れなければ何とかなる、と思いそうしたのですが成功でした^^

    二回目は原因は不明ですが、下痢嘔吐。気持ち悪いと言ってトイレに行くことはできたのですが、上から下からでもう大変…母も苦しかったでしょうが、私も泣きたかったです。トイレの床から壁から衣類も嘔吐物まみれ(T△T) 原因はわかりませんでしたが、自分に感染したら大変だと思い、マスクとゴム手袋はすぐに身につけました。

    三回目は発熱だけでしたし、私も経験を積んだので余裕がありました。顔が少し赤かったので熱を測ったら37℃を少し上回るくらい、食欲は普通にありましたがやはりぼーっとしていました。薬は一切飲ませず、頭を冷やし、パジャマの上から紙パンツを1枚。朝には熱も下がり、通常の認知症に戻っていました^^

    凄いですよね!自分で何らかの菌をやっつけたってことですよ!
    昭和一桁生まれは基礎体力があるのでしょうかね~関心してしまいました。

    ひまわり


      
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  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるある

    2017年08月04日

    言葉は波動

    認知症介護と育児は似ているところがあると、私は思います。

    私は以前「アドラー心理学」から、育児をしていく上で大事なことを学びました。「ことば」は波動として相手の心に伝わる
    誕生したばかりの赤ちゃんでさえも、自分に向けられている言葉が快なのか不快なのかを「泣く」「笑う」等の態度で表現する。
    精神科医であったアルフレッド・アドラー博士は仰いました。「一人の人間をダメにするのは簡単だ。毎日毎日その人に向かって『おまえはダメな人間だ』と言い続けたらいい」と。

    私がこれを学んだ時、娘はもう既に成人していましたので、育児に活かすことはできませんでしたが、母の介護で活用することができました。
    私が母に対し敬語で丁寧にゆっくり話すと、発想できたのもこの学びのお陰かだと思います。

    また、常に相手の気持ちになって考えると、いうこともありました。(私は自分だったらどうされたいかと考えました)
    例えば、無言で服を脱がされたら・・・怖いですよね!
    誰だって怖くて、不快になります。

    赤ちゃんや認知症のひとも同じなんですね~ですから、肌着や衣類に手をかける前に「着替えましょうね」とか「お着換え手伝いますね」とか、ちゃんと目を見て声をかけることが大事です。

    折り紙


      
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    タグ :認知症介護



  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるあるセルフケア

    2017年07月30日

    スピリチュアルな視点の認知症

    昨日、江原啓之さんがテレビ番組でスピリチュアルな視点から見た認知症というお話をされていました。認知症になりできないことが増えても、魂は変わっていない。だから、暴言を吐いたり、叩いたり、ぞんざいに扱えば魂が覚えている。
    また、異食をする人は食べることに苦労してきた人、徘徊をする人は逃げたい気持ちを抑えてきた人、暴言を吐く人は辛抱に辛抱を重ねて生きてきた人。それを見て「最後に全部吐き出してくれたのね」と思うのと、「こんな人じゃなかった」と思うのとでは視点が変わってくる。

    概略以上のようなお話しでした。このお話しを聞き、私が母に対し敬語で話し、丁寧に接することはスピリチュアルな視点から言っても間違っていなかったんだな・・・と安堵しました。

    介護生活が始まった頃、認知症の知識0だった私は、母と言葉を交わせば喧嘩のようになり、意味不明のことをいう母にどう答えたらいいのかわからず本当に悩みました。
    当時、図書館に行き関連する書籍を探すも、1冊も見つけることができませんでした。今思えば私に母が認知症であるとの認識がなく、老人うつとかそんな言葉で本を探していた気がします。

    解決策が見いだせない状態は、本当に闇の中に放り出された感じです。
    家事はそれなりに苦にならずにこなせても、母とのコミュニケーションや対応が一番の問題でした。

    そんな時、ふっと浮かんだのが

    折り紙


      
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  • Posted by ほし未有希 at 10:00Comments(0)認知症あるある